古代ローマ都市

西洋建築史都市計画
フォロ・ロマーノ遺跡の巨大な柱
フォロ・ロマーナ  出典:ウィキペディア 投稿者:Stefan Bauer, httpwww.ferras.at

大帝国にふさわしい都市

 古代ローマは大帝国を築き、皇帝が公衆の面前に立つ都市広場が必要になった。それゆえ、ローマ建築は都市的性格が強い。

都市のコアとなる広場 ―フォルム―

 古代ギリシアのアゴラを模範として、政治、経済、宗教生活の中心的役割を担う公共施設を周囲に集積した広場を都市の核として築いた。ローマ人はそれをフォルムと呼んだ。

 3基のバシリカと元老院議事堂を備えたフォロ・ロマーナ(前8世紀-後5世紀)は、初期につくられ自然発生的な無計画さがあったが、次第にギリシアやヘレニズムの影響を受けながら空間の秩序化が図られた。

 共和制末期には、軸線対称で三方に列柱廊を配する矩形広場になった。カエサル、アウグストゥス、ネルウァ、トラヤヌスらによる諸皇帝のフォルム(113年,ローマ)は、空間の軸線が明確に強調され、整然と並ぶ列柱に囲まれた統一感のある巨大な記念広場になった。トラヤヌスの市場(110)も追加された。

多目的な集会施設 ―バシリカ―

 フォルムに欠かせない構成要素がバシリカであった。ギリシアのストアの発展形で、裁判、集会、商取引など多人数のための多目的ホールであり、公共空間として定着した。古代の広間はほとんど多柱室であったので、ローマの大広間は大きな進化を遂げたと言える。

 コンスタンティヌス帝のバシリカは、交差ヴォールトの身廊とトンネル型ヴォールトの側廊をもつ巨大な内部空間を有するまでになった。身廊を吹き抜けにして天井を高くすることで、ハイサイドライトが降り注ぐ明るい空間になった。

多彩な公共施設

 神殿は、広場の軸線上に象徴的に配置されたため、シンメトリカルな正面性が求められ、強い都市性を持つようになった。高い基壇と正面階段、列柱が並ぶ吹き放ちの空間が中心軸に対称に構成された。

 モニュメント性の強い記念碑や凱旋門も数多く建造された。中空に螺旋階段がある高さ30mのトラヤヌスの記念碑(113,ローマ)は、ダキア遠征の歴史的史実を写実的に描いたレリーフが、大理石の柱身に螺旋状に刻まれている。パルティアに対する戦勝記念であるセプティミウス・セウェルスの凱旋門(203,ローマ)は、コンポジット式柱と3つの門を持つ。コンスタンティヌスの凱旋門(315,ローマ)は、高さ20mで3つのアーチの門にオーダーが組み合わされ、上部構造は偉業を讃える人物像やレリーフで飾られたローマの彫刻史である。

 劇場は、トンネル型ヴォールトを使って階段状の観客席を造れるようになったため、ギリシアのように自然の地形を利用する必要がなくなり、市街地に独立して建てられた。コロッセウムなど円形闘技場や、二輪戦車競走用の競技場キルクスなどがある。巨大娯楽施設ともいうべき浴場は、冷水、温水、蒸気の3種類の入浴法を楽しめた。

 また都市のインフラ整備にも余念がなかった。馬車や戦車を走らせるため、敷石で舗装した約6m幅の直線道路で各都市を結んだ。水道橋や給水塔による給水施設や暗渠による下水道を敷設し、健全な都市生活を実現させた。遠い山間から水を引いた三層アーチのポン・デュ・ガール(前20,仏ニーム近郊)は、1万分の4前後の緩勾配で防水モルタル塗りの水路があり、精度の高い土木技術で知られる。街角には水汲み場が整備され、広場の公衆便所は水洗式であった。

ポン・デュ・ガール 出典:世界遺産ガイド

市民の住まい

 住宅には、ドムスとインスラの大きく2つのタイプがあった。

 ドムスは、ローマの伝統的な独立住宅形式で、天窓と水盤のあるアトリウムの周囲を諸室が囲む構成であった。中庭や庭園を取り囲む列柱廊ペリスタイルを屋敷の奥に持つものも現れた。

 インスラと呼ばれた3~8階建ての集合住宅は、道路に面する1階に店舗が入り、2階以上を住居として使用した。内部への採光と通風を確保するためペリスタイルを持つものもあった。7~8階以上の高層アパートは、しばしば建築の高度制限が課せられた。

 また、田園地帯には、ヴィッラと呼ばれる別荘が建てられた。

帝国の拡大と植民都市

 ローマ人は征服した地中海全域に次々と新しい都市を建設する。軍隊支援の基地、街道維持の拠点、そして地域の発展を促す意味があった。ローマ帝国の遺構として、79年ウェスウィウス火山の噴火で埋没したポンペイ、シルクロードの中継都市パルミラ(シリア)、レプティス・マグナ(リビア)、カルタゴ(チェニジア)、ヴォルビリス(モロッコ)などが遺る。また、ブリタニアのロンドン、ガリアのパリなど、後世主要都市に発展したものも多い。

 首都ローマで生み出された建築様式が規範として属州に伝えられた。まちの周囲に城壁を築き、カルド(南北道)とデクマヌス(東西道)の2本の大通りを、市の中心部で交差させて多目的広場のフォルムを設け、周辺に神殿、元老院、演壇、バシリカ(裁判所・取引所)、マーケット、監獄などを整備し、記念碑や記念門を配置した。大通りを基準に格子状に街路を拡張し、街区を設けた。

コメント