ベルリン・フィルハーモニー・ホール

世界の名建築環境技術

雲が浮かぶ青空の下、音楽家の周りをたくさんの観客がぐるりと取り囲み、みんながひとつになって演奏を楽しんでいる。そんな、至福の時が流れていく情景が目に浮かぶ。

ベルリン・フィル・ハーモニー・コンサートホール
ベルリン・フィルハーモニー・コンサートホール 大ホール  出典:fulyaahsapev.com

 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地として、ドイツの建築家ハンス・シャロウンによって設計され、1963年に建てられたコンサートホールは、独創性と幸福感に満ちている。音楽空間としての優れた評価のみならず、その画期的な斬新さから、今日においてもなお現代を代表する最高の建築空間といって過言ではないだろう。

 音響に優れていたという旧ホールを第二次世界大戦で破壊されて失い、戦後世界最高のオーケストラに相応しいコンサートホールを建設しようという機運が高まる中、1956年に行われた指名コンペで、シャロウンは「ムジーク・イン・ミッテ」、即ち、音楽を空間の中心に置く、というテーマを掲げ、それまでとはまったく異なる新しい形のホール空間と客席配置を提案しました。

 彼はそれを、「この構成はあるランドスケープのパターンに似ている。オーディトリウムは谷であり、その谷底にはオーケストラがあって、その周辺の丘によじ登っていくブドウ畑に囲まれている。天井はテントに似ていて、このランドスケープに出会うスカイスケープである」と説明しています。

 コンサートホールの歴史を振り返ると、その始まりの一つは、貴族階級の娯楽としての宮廷サロンであり、もう一つは、長方形プランで高い天井を持つバシリカ形式の教会といわれます。その後、純粋に音楽鑑賞が行われるようになり、ウィーン古典派の象徴で理想的な響きを持つといわれるムジークフェラインス・ホールに代表されるシューボックス型が生まれ、完成された定番の空間形式となっていきました。

 演者を観客が取り囲むというコンセプトは、演劇空間では古くから試みられ、基本形は同心円、正方形などの整った形が多い。シャロウンはそれを不定形に近い自由な多角形とし、しかも客席の段床に急な勾配を与えて、オーケストラ全体を俯瞰し見渡せる、非常にドラマティックな構成を生み出しました。

 聴衆にとっては、演奏している表情や息遣いまでわかり、オーケストラのとの親近感や他の聴衆者との一体感が得られます。音楽家も、自分を取り囲む聴衆と演奏会を一緒に共有している感覚を享受できます。このようにコンサートを視覚的体感的にも楽しめることが、いかに素晴らしいかを示す好事例となり、新たにアリーナ型として確立され、その後コンサートホールの形状や配置計画に大きな影響を与えることになりました。

 シューボックス型に比べると音響面でのリスクは大きくなりますが、ホールを五角形の建物とし、客席をいろいろな角度に配置されたブロックに分節し、客席ブロック間の側壁を有効な音の反射に使っています。 

 また、音響的に必要な室内気積を確保するために、サーカス小屋のテントのように天井の中央部を高く持ち上げ、その下に大きな浮雲型の反射板10枚を吊り下げて、オーケストラへの音の返りと客席への初期反射音の供給に役立てています。建築家の陰には、この難しい形状を音響的に巧みに処理し高い音質を実現させた、L.クレーマーの大きな存在がありました。

 段々畑の客席の下は、広いホワイエになっており、変化に富むシークエンシャル演出が図られた内部風景が広がっています。上階のホールへ階段で登って行くまでの間、人々が様々な方向に行きかうアクティビティを眺めて、音楽への期待に心を高揚させるといった体験を計算して設計したのでしょうか。

ベルリン・フィルハーモニー・コンサートホール
ベルリン・フィル・ハーモニー・ホール  出典:ウィキペディア 投稿者:A.Savin

 ホール内部のテント形状をそのまま外観にも現わし、山が連なるような屋根のシルエットは街のシンボルになっています。戦後早くに建設されたため仕上げなどは簡素ですが、空間構成の素晴らしさは秀逸です。

 ハンス・シャロウンは、人と音楽、空間の新しい関係を提唱し、自由で幸福な建築を具現化しました。第二次世界大戦時ナチスの暗黒時代を本国で過ごした彼が、秘かに温め続けていた憧れの情景であったのかもしれません。

コメント