フランス古典主義建築史

西洋建築史
ヴェルサイユ宮殿 鏡の間 出典: Wikimedia Commons, CC (Photo by Myrabella )

フランスのルネサンス

 フランスがイタリアのルネサンス建築様式を導入したのは、100年遅れて16世紀に入ってからであった。遅延した要因は、古典様式の体系的な理解と、地域の風土や伝統を咀嚼して独自の様式を生み出すことに、時間を要したためである。

 1515年ヴァロワ朝の王位に就いたフランソワ1世は、イタリア戦争を通じて、華麗なルネサンス建築と優雅な生活様式に感銘を受け、イタリアの芸術家を招聘した。ロワール川流域の防備性が強く殺伐とした城館を、古典モチーフや彫刻装飾を設え、美しい風景に調和するシャトー群に作り変えた。シャンボール城館(1550)は、4本の塔が囲む完全に左右対称な長方形平面で、細部の古典的なデザインと全体とが統合されている。

 1546年ルーブル宮殿をパリのセーヌ川右岸に起工させ、宗教戦争の内乱により中断もあったが、本格的なルネサンス建築が始まった。

 また、建築家フランソワ・マンサールは、淡泊優雅で洗練されたフランス独自の国民的様式を確立させる。中央と左右両端が突出した形態、多雪地域に適応した急勾配の腰折れ屋根「マンサール屋根」、林立する煙突、威厳のあるオーダー、十字形方立てをもつ階高一杯の縦長窓など、端正な古典主義的近代建築の特徴がある。

フランス流古典主義建築の確立

 1589年ブルボン朝の初代国王となったアンリ4世は、ナントの王令を発し、新教ユグノーを認めつつ国教を旧教に改宗して、首都パリに入城し都市再建事業を開始する。イタリア・バロックの影響を受けながら、ルネサンスの古典主義を深化させていった。古代ローマの栄光の歴史に王権の威厳の表現を託すもので、秩序と調和の規則を基にフランス国家に相応しい優雅さを追求した。過剰な動的表現を抑制し、軸線や幾何学形を用いて、節度や均衡を是とした。都市整備においても、雑然とした中世都市に広場を整備し秩序をもたらした。

 1610年ルイ13世の時代、古典主義芸術によって王権を顕示しようと、ルーブル宮の拡張を図る。また、政治経済的な安定によって、振興のブルジョワ階級が台頭してくる。彼らは新しい芸術を見極める見識を備え、バロック建築を牽引した。パリ近郊の貴族の邸館はオテルと称し、前庭奥中央に大階段を持つ主屋と、両側に翼屋を配し、立面にオーダーを設えた。

 1671年ルイ14世は、フランス流様式の確立を目指して、王立建築アカデミーを設立する。古典的な建築書を原点に建築美の法則を学び直し、複雑化したオーダーの整理と体系化を図り、古代ローマとは異なる新たな文化的伝統を創造する試みがあった。建築教育を先駆し、後のエコール・デ・ボザールに継承された。

古典主義的バロック

 国内産業の保護と貿易振興による重商主義政策をとり、太陽王ルイ14世(在位1643-1715)は、「朕は国家なり」の絶対王政を実現させる。強大な権力と文化的主導権を確証するため、王の権威の表現としてバロック建築を推進し、自ら一大スポンサーになった。

 1624年、パリの南西22kmに位置する、先王が狩猟用に使った質素なヴェルサイユ城館の改築を開始する。1661年財務卿によってヴォー・ル・ヴィコント城館が建てられると、その抑制の効いた端正さとバロック的な壮大さに嫉妬し、建築家のル・ヴォ―、造園家のル・ノートル、室内装飾画家のル・ブランを丸ごとヴェルサイユの建設に登用し、旧館を囲い込んで大規模に増築する。左右対称の構成で全長400m、三層構成の優雅な古典主義ファサードとした。さらに西側のテラスに続けて、グラン・カナル(大運河)を持つ広大な幾何学式噴水庭園を造営した。パリに続く無限遠の軸線と壮大なヴィスタを有し、放射状の道路網と幾何学状の植栽帯を備え、代表的なフランス式庭園となった。また、1675年アルドゥアン・マンサールを王室建築家に任命し、大増築を行った。偽窓に鏡を貼った鏡の間はつとに有名である。

 こうして誕生したヴェルサイユ宮殿は、建築・絵画彫刻・造園のすべてがバロック的に競合しつつ統合され、秩序・威厳・明晰さを誇るフランス古典主義の到達点となり、揺るぎない一極集中を象徴する。絶対的権威を儀式的に讃える豪壮華麗な舞台装置であり、ヨーロッパ絶対王政の宮殿モデルになった。

ロココ様式

 絢爛豪華で誇張した演出に行き過ぎたバロック様式への反動から、荘重さを避け、瀟洒な雰囲気を要求するようになる。威厳を正した佇まいより心地よさを優先させ、気の利いたエスプリのある寛ぎの場所や小部屋を求めた。

 淡い色調と優美繊細な装飾が好まれ、オーダーを中止した。不規則に湾曲する浮彫装飾は、岩や貝殻をモチーフにしたロカイユを用い、ロココの由来となる。ルイ15世(1715-74在位)、ポンパドゥール夫人(1721-1764)を中心とするサロン文化の最盛期に流行した。

 ロココの傑作として知られるオテル・ド・スービーズ(1712,パリ)は、壁面と天井の境目が曲面と装飾で埋め尽され、一体的な室内空間になった。

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