イスラム教の世界
610年、イスラム教の教祖ムハンマドはアラビア半島のメッカで布教を始めた。後継者たちによるウマイヤ朝、アッバース朝を経て、アジア・アフリカ・ヨーロッパの3大陸をまたがる帝国の基盤となる宗教になった。13世紀異民族の侵略で、アラブ帝国は東西その他に分割され解体される。中世後期のイスラム世界では、オスマン、サファヴィー、ムガールの3代帝国が鼎立した。
イスラム建築の特徴
木材や石材の乏しい砂漠の遊牧民族で、土から作る日乾レンガ(アドベ)や天幕で造った建築に暮らしていた。後発の宗教であったため、はじめは占拠した建物を若干改造しながら礼拝堂を造った。
イスラム教信者は、聖地メッカのアッラーの神に礼拝するため、モスクをメッカの方角に向けて建てる。礼拝の方向(ギブラ)を示す壁龕であるミフラーブ、階段状の説教壇ミンバル、信者に礼拝時刻を告げる尖塔ミナレットの3点が必須であった。パルテノン神殿やアヤ・ソフィアも、一時期3点が追加されモスクに転用された。また、回廊付きの中庭があることが多く、その中心に身を清める泉亭を設けた。
半ドーム形のトンネル状ヴォールトを架けた、前方のみ開放された半屋外空間をイーワーンと呼び、通常中庭に向けて開くように配置された。乾燥した気候で、視覚的にも単調な環境が多いためか、建物で囲われた中庭形式のパティオを多用し、植物や水を引き込み、くつろぎの空間を演出する。
ムスリムのための神学校をマドラサと呼ぶ。大規模なマドラサは、中庭に面した各辺の中央に講義室や礼拝堂として使われるイーワーンを配置し、他の部分に2層アーケード状の学生寄宿舎を設置した。その他、図書館や創設者の墓廟を付設されることもある。
イスラム教は人間や動物の図像表現を禁じているので、モスク内に絵画や彫刻はない。
また、装飾化技術に長けていて、多様なアーチの形式をもつ。半円、尖頭アーチの他に、馬蹄形、多葉形、オージーアーチなどを用いる。
モスク建築
モスクはイスラム教の礼拝堂のことである。膝まずく場所の意のマスジド、集まりの意のジャーミィともいう。回廊に囲まれた四角形の広い中庭と礼拝堂を持つ形が基本になる。
アラブ型は、バシリカ式教会堂を模した多柱式のモスクが主流で、長方形プランの列柱ホールが中庭と対面する、シリア・ダマスカスのウマイヤ・モスクが著名である。
イラン型は、中庭に面して4つのイーワーンを持つチャハル・イーワーン式で、イスファハーンのイマーム広場に隣接するマスジェデ・ジャーメ(金曜モスク)が有名である。
オスマン・トルコ型は、広大な中央の礼拝堂空間を脇から半ドームや小ドームで支える壮大な中央会堂式で、オスマン帝国の建築家ミマール・スィナンは、アヤ・ソフィアを模したスレイマニエ・モスク(1557年)やエディルネのセミリエ・モスク(1574年)を建てた。同じくイスタンブールにアフメト1世が建てたスルタンアフメト・モスク(1616年)は、世界で最も美しいモスクと称され、ブルー・モスクとも呼ばれる。
ペルシャ式庭園
紀元前6世紀アケメネス朝ペルシャの初代皇帝キュロス2世時代が起源とされる。猛暑や砂嵐を忘れさせ、人々に休息の場所を与える快適な空間を意図する。灌漑と鑑賞の両方の役割を持ち、噴水や池、縦横に張り巡らした水路を基本とし、ペルシャ人の庭園設計の多様性や技術力の高さを物語る。
中央で直角に交差して全体を4分割するチャハルバーグ(四分庭園)は、コーランの4つの庭園を基に具現化されたエデンの楽園とされ、ゾロアスター教の天・地・水・植物の4元素を象徴するともいわれる。
無限に続く装飾芸術
抽象的な装飾が多彩に発達し、幾何学模様、植物モチーフのアラベスク模様、コーランの一節を用いたカリグラフィーを駆使する。
立体的な装飾にも特筆すべきものがある。スタラクライトは、多数の小凹曲面で構成され、頭上から垂れ下がるような鍾乳石状の装飾である。ムカルナスは、小さな曲面を集合させ全体として凹曲面を創り出す、蜂の巣天井をいう。ドームや半ドーム、ヴォールト天井の内面を飾り、優美で幻想的な雰囲気を醸し出す。
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