ウィトルウィウスの「建築十書」
ヘレニズム諸国を併合し大帝国を築いた古代ローマは、オリエントの文化や建築技術を摂取しながら、古代ギリシア建築を継承し発展させた。
紀元前1世紀、ギリシア建築を模範として踏襲し、建築を体系的にまとめた「建築十書」を初代ローマ皇帝アウグストゥスに献呈したウィトルウィウスは、建築として成立させる3つの原理として「強・用・美」を提唱した。ここでは、この3つの理に照らし合わせて、古代ローマ建築の特徴を考えてみたい。
古代ローマ建築の特徴 ―強・用・美―
まず、構造の理を表す「強」であるが、古代ローマ人は革新的な建築技術を生んだ。古代ギリシアのオーダーは、石材の水平梁が上部からの力に弱いという構造力学上の弱点があったが、剪断力を圧縮力のみに転換し、上方からの荷重に耐えることが可能なアーチ構造を発見し、アーチと壁による組積造を発展させた。
アーチを3次元的に展開して、円筒形の曲面天井のトンネル・ヴォールトや、四点支持が可能な交差型のクロス・ヴォールト、半球面体のドームに応用し、独創的な空間を生み出すことに成功した。
また、優れた建築材料であるローマン・コンクリートを発明する。レンガや石材を積層した外装材をそのまま型枠に使い、セメントに骨材と水を混ぜたモルタルを流し込んで一体的に硬化させ、組積造部分をそのまま永久的な仕上げ材として活用するコンクリート構造体を生み出した。これによって、自由な形態で飛躍的に増大した規模の建造物を、比較的容易に大量に生産できる環境が整った。さらに、以前の古代文明では成し得なかった中間柱のない広くて大きな内部空間を建造できるようになった。
次に、機能の理を表す「用」であるが、前述の建築技術を複合的に柔軟に組合せて、多種多様な用途や機能を持つ公共施設を構築することが可能になった。皇帝は「パンとサーカス」と称する食料と娯楽を与える政策をとり、その権威を示す施設を整備した。宮殿、神殿、劇場、闘技場、戦車競技場、公衆浴場、会議場、市場、凱旋門などのモニュメントなど、多種多彩な大規模建築物を建設した。
最後に、芸術としての理を表す「美」である。壁構造を使用したため、もはや柱と梁の架構による構造体は不要になった。そのため、ギリシア建築の3種類のオーダーに、より簡素で太目のトスカナ式と、より華麗で細身のコンポジット式を加え、5つのオーダーを壁の装飾として用いた。オーダーは建築力学上の制約から解放され、自由に構造体の表面を飾る装飾要素と化した。ただし、古代ローマ人はギリシア建築の普遍性のある表現を高く認識し評価しており、建築美の真髄とも言えるシュンメトリアを継承した。
力学的には壁の建築であったが、造形的には柱の論理に従ったといえる。完璧な美学を具備したオーダーを表層に貼り付けることによって、美的規範である比例と調和の法則を守りながら全体の統一感を保持したのだ。その上で、建築表現の多様性を追求していった。
装飾化に使われた円柱タイプには、壁面から離した独立円柱、壁に半分、あるいは四分の一を埋没させた半円柱や四分の三円柱、浮き彫り状に平らな付柱としたピラスターがあった。
古典主義建築の完成
カエサルやアウグストゥスが生きた紀元前後のローマ帝政期に、古代ギリシアから進歩を重ねた古典主義建築は完成の域に達した。そして、パクス・ロマーナ(ローマの平和)と称された五賢帝時代、トラヤヌス帝(在位98-117)は帝国の版図を最大化し、建築王の異名をもつハドリアヌス帝(在位117-138)は多くの傑作を建立し、ローマ建築の成熟期を迎えた。
多彩で華麗な建築空間
平地に建てられたローマ劇場の典型マルケルス劇場(前11,ローマ)、巨大な楕円形平面を持ち階段状観覧席を持つ闘技場コロッセウム(80,ローマ)、170以上の部屋で構成されたトラヤヌス帝市場(113,ローマ)、直径43mの球体を内包しドームの最高傑作と謳われ、天窓から円光が差し込む小宇宙を象徴する万有神殿パンテオン(前25・128) 、皇帝の趣くまま自由奔放に計画され、軸線によって複数施設が統制された別荘ヴィッラ・アドリアーナ(118,ティヴォリ)、方形基壇に列柱廊を巡らした円堂を置き、丘を築いて糸杉を植えたハドリアヌス帝の墓廟(139,ローマ)、雄大な交差ヴォールトを載せ巨大で多機能なレジャー施設であったカラカラ浴場(216,ローマ)やディオクレティアヌス浴場(306) 、巨大な内部空間を持つコンスタンティヌスのバシリカ(313,ローマ)など、世界的に名の知れ亘った古典的傑作の遺構を数多く残した。
このようにして、強・用・美の3つを揃え、強固で、バリエーションが豊富で、華麗な表現を得た巨大な内部空間を創造し、それらを自在に組合せて応用した。帝国の威信をかけ、広範な地域の情報と技術を結束させ、ギリシア建築の単純明快さとは逆に、多様で複合的で実用的な建築を発展させたのである。
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