古代エジプト建築

西洋建築史
ギザのピラミッドとスフィンクス
ギザのピラミッドとスフィンクス 出典:pixabay(photo by Pete Linforth)

古代エジプト文明の時代背景

 周期的に起こるナイル河の氾濫が、周辺に肥沃な土壌と恵みを与える一方、天文学や測量学、数学や幾何学など高度な知識と技術力を発展させた。計画的な農業が可能となり、安定した生活を送ることができるようになり集落が作られた。そして、神と同格とみなされたファラオ(国王)が統率する社会がしだいに完成した。

 ナイル河下流域から石灰岩、上流のアスワンから花崗岩を採取できた。地中海からの一定の海風を利用して、航行も運搬も容易にできた。強大な力を持ったファラオは、自らの権威を誇示するため、不朽不滅の巨大な記念的建造物を建造していった。

 エジプトの宗教は、人間をはじめとするすべての生き物の霊魂は不滅であり、再生によって来世の生活を信じるものであった。遺体をミイラにして保存し、将来の復活に備えて副葬品を墓に納める習慣があった。また、太陽神ラーを頂点に、冥界を支配するオシリス神をはじめ、動物の顔を持つ神々、村々ごとに土地を守る神がいて、様々な神々を熱心に信仰する多神教の世界に生きていた。先細りの四角柱の頂部にピラミディオンを載せたオベリスクは、太陽神の象徴であった。

ピラミッド ―量塊(マッス)の建築―

 先王朝時代から死者を地中に埋葬する習慣があり、地中深くに掘られた墓室の上に、日乾煉瓦を横長の腰掛け椅子の形に積んだマスタバと呼ぶ墳墓が出現した。古王国時代、永遠の権威を得ようとしたジェセル王は、最古の建築家イムホテップに命じ、首都メンフィスの西隣サッカラに、マスタバを6段積み重ね、耐久性のある石造の階段状ピラミッドを造らせた。その後屈折ピラミッドなどの過程を経て、単純幾何学の力強い形に整えられた。権力をシンボライズする実体ある力の表現としてマッスが選択され、天文学や数学の発展と抽象化への関心から、シンプルで荘厳な造形である真正ピラミッドに収斂させていった。

 ピラミッドは単体ではなく、東側中央部に葬祭神殿をもち、近くを流れるナイル河の流域に河岸神殿を建てるなど、複合施設として建設された。また、周辺には建設労働者や高官などが住むピラミッド・タウンがあり、農民たちにとって、河が氾濫する農閑期の大公共事業であったという説が現在有力である。パンやビールが振る舞われ、彼らは奴隷としてではなく嬉々として働いていたことが、墓の壁画やヒエログリフ(象形文字)から読み取れる。

テーベの繁栄とアメン・ラー信仰

 中王国時代、ナイル川中流域のテーベに首都が移された。その後アジア系遊牧民ヒクソスに侵略されたが、テーベ出身のアフメスⅠ世がヒクソスを駆逐し、新王国時代第18王朝を開く。歴代ファラオが次々と領土を拡大し、テーベは1000年にわたりエジプトの首都として繁栄した。

 テーベの守り神であったアメン神は、一躍地方神からエジプト全土の主神となる。さらに、太陽神ラーと習合し、国家最高神アメン・ラーとして、人々の崇拝を集める存在となった。

崖墓(がいぼ)と葬祭神殿

 巨大なピラミッドは影をひそめ、王家の谷で知られる聳え立つ断崖の奥深くに岩窟墓を設け、前面に葬祭神殿を建てるようになる。メントヘテブ2世は、列柱廊に囲まれた小ピラミッドを載せた葬祭殿を建てた。墳墓から神殿へ移行した。 

 王の再生復活と永遠の生を祈る葬祭神殿は、岩窟墓に隣接するテラス形式の構成がとられた。新王国時代のハトシェプスト女王葬祭神殿は、その完成形と言える。建築家センムトは、岩壁を背景に、3段のテラスを軸線上に並べ、各テラスの高低差を列柱廊が支え、斜路で中央部をつないだ。柱廊の奥に列柱中庭、さらに奥の至聖所へと続き、角柱、16角柱、オシリス柱など、柱を意識したデザインが展開されている。

ハトシェプスト女王葬祭殿
ハトシェプスト女王葬祭殿   photo by Nina Evensen (出典:Pixabay)

エジプト神殿 ―軸線と柱廊の建築―

 首都テーベにおいて、ナイル川西岸は死者の世界として王家や王妃の谷などの墓地や葬祭殿群が整備され、東岸は生者の居住地として政治や宗教の中心地となり、テーベの守護神を祀る神殿群が造られた。墓神殿から神殿に独立したエジプト神殿として、カルナックのアメン大神殿ルクソール大神殿が建つ。先述のハトシェプト女王葬祭殿とアメン大神殿は、ナイル川を挟んで、軸線でつながれた配置となっており、壮大な有軸空間が計画されている。

 神殿建築は、その絶対的な威光を示すため、軸線を明確に意識して、諸施設をシンメトリーに配置する。神殿内部は、明暗のリズムを刻みながら冥界をイメージさせる神秘性を秘めている。

ルクソール神殿の1本のオベリスクが残る第一塔門
ルクソール神殿 1本のオベリスクが残る第一塔門  出典:ユーラシア旅行社 VOYAGE「世界見聞録」 撮影:松波

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