妙喜庵待庵

日本の名建築

人を魅了し続ける世界最小の究極の空間。そこに漲る精神性の高さと深さは、どんな大空間にも劣らない。

妙喜庵待庵
妙喜庵待庵  出典:Leaf KYOTO

 天正10年(1582年)山崎の合戦の折、羽柴秀吉が陣中に呼び寄せた千利休によって造られたと伝わる待庵は、侘びの精神が貫かれた、現存する最古の草庵茶室とされる。現在妙喜庵の寺内に移され、書院の縁側から露地でつながれた。

 杮葺きの切妻造りで、南向きの妻面に深い土間庇を設け、概ね75センチ四方の躙り口から室内へ入る。床の間を備えた二畳隅炉の茶室と、障子襖で仕切られた一畳長板付きの次の間、一畳の勝手の間から構成された間取りで、全体が方丈(四畳半)の広さである。

 茶室は、わずかに二畳であり、天井も低く抑えられ、直径が6尺、正確にはここでは1918mmの球体をちょうど内包する極限の空間です。前掲のパンテオンと比較すると、空間の気積がおよそ1万分の1の狭さです。

 ではなぜ、利休は、このような狭い空間で、天下人となる秀吉をもてなしたのでしょうか。

 平安時代の末に宋から日本に茶がもたらされ、室町時代には、喫茶の習慣が禅院や上流階級で楽しまれていました。末期には、格式を重んじる茶の作法を脱却し、亭主と客人が座敷でのより密接な交流に重きを置く「茶の湯」が、室内芸能の一つとして確立されていきます。

 一見粗末に見える道具や環境を尊ぶ「侘び」「寂び」と呼ばれる美意識が尊ばれ、豪華絢爛な書院造の座敷に対して、小間の茶室に草体化を図ります。利休は、派手な装飾を排し簡素に無駄を削ぎ落す方向で深化させ、求道性を伴った芸術性の高い「侘び茶」として茶の湯を大成させます。そして、それを行うに相応しい空間の創造が不可欠になりました。

 侘びの精神を具現化させるため、「美しくやつし、くずす」ことによって草体化し、草庵茶室を完成させていく過程で、従来の格式ある書院座敷の規矩を破る必要が生じました。

 書院では縁から座敷に入るのが作法でしたが、利休はその縁を解体し、土間から直接席入りする形式を生み出しました。縁を排除したことにより、露地に置かれた飛び石が茶室前面の庇の下に入り込み、心を鎮めるアプローチの庭である露地と座敷が直結します。つくばいや刀掛けが備えられ、縁が持っていた機能を内包した土間庇を設けることによって、外の露地と内の茶室を一体化させています。

 茶室全体を壁で覆い、客が入室する際に刀を外し躙り口で頭を下げるのは、武力と身分という俗世を茶室の中に持ち込ませないための仕掛けです。

 躙り口を潜ると、正面向かいに床の間が配置されています。室床と呼ばれるもので、床内の入隅柱、壁と天井の境を消すかのように土を塗り回し、視覚的に奥行き感覚を麻痺させ、深遠さを感じさせます。

 同様に、炉の隅柱荒壁で塗り回し、室内に拡がりを感じさせる工夫があります。天井は3つに分割され、床前と点前座は床の間の格を示すため平天井ですが、躙り口の上、客座上部は片流れ掛け込みの化粧屋根裏としており、高低に変化を持たせ、狭さからくる圧迫感を逃がしています。

 全宇宙とつながり拡がっていくものでありながら、人の心を内へ内へと沈潜させるような不思議な力を演出しています。

 当時枯山水の石庭に見られるように「見立て」の思想が濃厚に存在します。面皮付きの柱や框、多用される竹材などは、自然のまま、自然の儚さを見せようとする見立ての手法を使っています。室内の壁は黒ずんだ荒壁仕上げで、仕上げ塗を施さず藁苆を見せる草庵風です。下地窓は、土壁を塗り残して造られ、壁が崩れ落ちて開いた孔のように見せています。

 茅葺民家の持つ素朴な佇まいの中に日本人が慣れ親しんできた洗練された感覚を抽出し、鄙びた草庵の表現に徹します。

 柱や梁、長押から切り離され、自由になった窓は、室内の機能と絶妙な光の明暗を追求した結果として、位置と大きさが決められています。不安定な浮遊感さえ感じられますが、床脇に設けられた掛障子の下地窓は点前座の亭主にスポットライトを当て、客座背面の引分け下地窓は出入口を照らし、換気用にも使われ、南面の連子窓は仄暗く程良く室内全体を照らします。

 また、関連して、腰貼りの壁紙を外周にぐるっと巡らせることで、点前座の中心性を強調しており、亭主の所作に意識を向けさせ茶事に集中させる手法が採られています。

 妥協のない造形意思と鋭い造形感覚によって、隅々微細な点に至るまで気が配られた意匠です。

妙喜庵待庵
妙喜庵待庵 茶室二畳間  出典:有方POSITION 周煥博士(早稲田大学、中国芸術学院)

 また、茶道具においても、従来の名物中心の茶に対して、デザイン的にも独創的な試みを企て、新作あるいは無名の素朴な風合いの好みのものを積極的に採り入れました。

 この時代茶室には、茶の湯を嗜む他に、政治交渉の場としての機能があったようです。

 2畳のうち1畳は点前座として亭主が使い、残り1畳は客座でせいぜい2人しか座れません。お互いの顔と顔は1mも離れない至近距離で対面することになります。短刀であっても抜刀すれば、一撃で相手を倒せる間合いです。

 しかも、利休の理想とする侘び茶の境地を漲らせ、繊細で精神性の深い緊張感に充ちた密室空間です。時の権力を一身に集める秀吉に対して、利休は茶の作法を超え、真剣勝負のような鬼気迫る緊張をもって対峙し、その思いを伝えようとしたことは想像に難くありません。

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