古代ギリシア文明
紀元前3000年頃から、クノッソス宮殿を築き、エーゲ海のクレタ島を中心とするミノア文明と、ペロポネソス半島を中心に、巨石の城塞王宮や柱梁架構、円頂墓の遺構を残すミケーネ文明が栄えた。
ポリスが発展したアルカイック期(前776-前480)、ポリスの市民を主体とした民主政が高度に繁栄したクラシック期(前480-前323)、マケドニアのアレクサンドロス王が領土を拡大し、東西文明が交流するヘレニズム期(前323-前31)の、大きく3期の時代を経て、古代ローマに統合されるまでの古代ギリシアの歴史は、後の人類史に大きな影響を与えた。
プロタゴラスが「万物の根源は人間である」と謳い、神性が宿る万物の中で最も偉大な人間を基点に、真善美を探求する学問や哲学を発展させた。建築においても、完璧な建築美を追い求めた。
ギリシア神殿 ―円柱による形式美―
神殿は神の像を安置する神の家であった。
ミケナイの柱廊(ポーチ)付きの住居形式であったメガロンを祖型に、前室(プロナオス)、神室(ナオス)、後室(オピストドモス)の3室で構成した。正面を東向きとした妻入り矩形平面に、石造の柱と梁で架構し木造の切妻屋根を架けた。
祭祀は外部に設けた祭壇で行われ、基本的に人間が神殿の内部に入ることはなかった。それゆえ、外観の視覚的な美しさが問われた。四周を列柱で囲む周柱式の神殿が定型化し、円柱の形状と配列によって彫刻的な美しさを探求した。
このような景観重視の建築観が定着したのは、地域風土の特性に要因があったからに違いない。乾燥した地中海気候の澄んだ空気は、建物の輪郭をはっきりとくっきりと視認させ、太陽の動きに伴う列柱の陰影の移り変わりゆく様を魅力的に映したからであろう。
建築美を具現化する3つ手法
ギリシア人は、先ず「オーダー」を創出した。人体を基準にした比例寸法を用い、柱礎(ベース)、円柱(コラム)、水平梁(エンタブラチュア)の一組の架構要素を芸術性の高い形式に究めた。ドリス式は簡素でずっしりと男性的で、浅い鉢型の柱頭を持ち、イオニア式はスラっと優美で女性的で、羊の角のような渦巻き形の柱頭を持つ。後にイオニア式を発展させ、繊細華麗な少女風で、アカンサスの葉をモチーフにした籠形の柱頭を載せるコリント式も生まれた。3つのオーダーは、それぞれ人間の力強い立ち姿、優雅な立ち姿、軽快可憐な乙女の立ち姿を表し、人間が直立することの意義を哲学した帰結であったのであろう。
次に、「比例」を大変重要視した。柱底部の直径を基準単位とするモドゥルス(比例)による構成法則である。底部の直径に対する柱長については、概ねドリス式は6倍、イオニア式は9倍であった。オーダーの配列間隔なども、すべてモドゥルスによる比例で決められた。1:1.614の黄金比も誕生する。部分と部分、部分と全体の比率を表す数的秩序を構築し、均衡のとれた調和美を感じるプロポーションを生み出すこと、それをシュムメトリアと呼んだ。この理知的で合理的な定則を活用して多くのギリシア神殿が造られたが、全く同一の形や比例を持つ作品は存在しなかった。ギリシア人が求めたのは、建築表現の多様性ではなく究極美の典型であったのだ。
3つ目は「洗練」技法の駆使である。柱身に丸溝のフルーティングを縦に彫り、格調の高い雰囲気を演出する処理を加えた。また、人間の目の感覚を重視し、リファインメントと呼ばれる視覚補正を加えた。例えば、外郭の柱は上に向かって開き、水平材は中央が垂れて見える錯視を矯正するため、外郭柱は内転びに、床と梁は中央を持ち上げる、寸法の微調整を施した。柱身の中央部は細って見えるので、エンタシスと称するわずかな膨らみをもたせた。
最終的に人間の目が「安定して美しい」と感じる感覚を、数的な秩序よりも大切にした点が面白い。比例を墨守することからくる機械的な冷たさや堅苦しさを嫌い、感性を最優先させる高次の美意識を徹底して貫いた。
古代ギリシャ建築の成果
円柱は輪切りにして石切り場から運びこみ、正確に積み上げられた。接合部には髪の毛も入らないほど精緻な建設技術を持っていた。また、「パルテノンに直線はない」と言われるほど、至る所に微妙な調整や曲面加工を施し、気の遠くなるような作業があった。弛まぬ職人魂と高度な技術力が根付いていたのだ。
言語体系になぞらえれば、単語をオーダーに、文法をシュムメトリアに置き換えた建築体系を完成させたといえるであろう。この建築造形原理を用いて、宗教が重要な役割を占める古代社会において、神々を深く信じ人間性に賛歌を贈る建築物を多く築いた。その背景には、自由や創造性を尊ぶ精神と、精巧な施工技術を結実させた生産社会があった。
一方、柱と梁・楣による石造架構では、垂直荷重に脆弱な構造的な制約と、スケールにおける限界があった。従って、内部空間の充実は次の時代に譲られた。
コメント