ポリスの誕生と自治政治
ギリシア文明は、紀元前8世紀ごろから発生したポリスと称される都市国家を基盤とした。王政から貴族政を経て、紀元前5世紀ごろには古代民主政に到達し、市民権を得た人々による自治政治が行われるようになった。自立性と独自性を有したポリス群が、ほぼ同様の祭事や価値観を互いに共有する緩やかなつながりを保っていた。商業中心の民主政国家であったアテナイや、農業中心の軍事国家であったスパルタ、最強の精鋭部隊である神聖隊を率いるテーバイなどがあった。
奴隷制に支えられた生活基盤に立つ自由であったが、市民が直接民主政を営む都市国家群であった。秩序と調和を重視するギリシア人にとって、心身共に健全であることが理想的な市民に求められる条件であり、健全な市民生活を保障する都市施設が必要になった。
ギリシャ都市の構造 ―アクロポリスとアゴラ―
ポリスには、アクロポリスとアゴラという二つの重要な領域があった。
アクロポリスは、元々小高い丘の上に築かれた都市の要塞であったが、ポリスの守護神を祀る神殿が建てられた聖域となった。都市における宗教の中心的存在であり、基本的に市域のどこからでも神殿を望めるシンボリックな高台が選ばれた。
アテネのアクロポリスは、神域の主門である西側のプロピュライア(前433)から入場し、アテナの巨像、乙女像の列柱カリアティードが屋根を支えるエレクテイオン(前406) 、イオニア式のアテナ・ニケ神殿(前424)、ドリス式とイオニア式が融合したパルテノン神殿(前432)などを、景観上巧みに配置された。また、丘陵の斜面には、多数の祭神に捧げる宗教劇のための野外劇場が建つ。
一方、麓の平地のアゴラは市民生活の中心となった公共広場であり、知的、芸術的交流を楽しむ集いの場であった。そのため、多くの公共施設が集積する広場になった。役所、議事堂、裁判所などの行政機関、学校、図書館、音楽堂(オディオン)、集会場などの教育文化施設、市場、商取引所、宿泊所などの商業施設など、さまざまな用途の建物が建設された。人々の生活の変化とともに増改築が繰り返された。
中枢となる施設としてストアが生まれた。商店、催し、日除けなど多目的な使い方が可能な半屋外的空間を備え、アゴラをより機能的に整えた。また、パースを強調する長い列柱廊は、都市景観上美的な視覚的効果を高めた。アテネのアゴラの東端に設けられたヘレニズム期のアッタロスのストア(前150頃)は、正面21ベイからなる細長い2階建ての建物で、1階は2列の列柱が並ぶ開放的な空間が広がり、その奥にベイごとに仕切られた小部屋が並んだ。
都市の諸施設
アゴラの周囲には、自然の地形を利用した野外の劇場や競技場がつくられた。
エピダウロスの劇場(前4世紀)は、すり鉢状の自然の斜面を利用した円形劇場で、直径113mで、1万5千人程度の観客を収容できた。直径20mの円形舞台のオルケストラ、同心円状に55段の石造階段席で構成される観客席のテアトロン、楽屋を兼ねた舞台背景になるスケーネの3要素からなり、今も保存状態が良く音響効果が素晴らしい。
オリンピアでは、前776年にゼウス神に捧げるスポーツの祭典が始まり、観客席を持つ直線走路約192mの陸上競技場であるスタディオンなどの遺跡がある。
また、デルフォイには「汝自身を知れ」で有名なアポロンの神託所や宝物庫が遺り、エピダウロスのアスクレペイオン(前350頃)は、医学の守護神を祀る癒しの聖域として、神殿、浴場、治療室などの遺跡が残る。
都市の中核となる神殿はモニュメンタルな壮大さが求められ、周囲に100本以上の柱が並ぶ二重周柱式を採用した大規模神殿の建設も進められた。エフェソスには、イオニア式で内側の列柱を省略した疑似二重周柱式の巨大なアルテミス神殿(前550)が建てられた。
住宅は、パスタスと呼ばれる吹抜けの歩廊で囲われた中庭を中心に、その奥に諸部屋が配置された。日乾煉瓦で造られた簡素な外壁は、開口がほとんどなく閉鎖的であった。
計画都市の誕生
紀元前5世紀以降、軸線を強調し機能的に秩序化された都市空間も誕生する。
ヒッポダモスは、ミレトスの都市計画(前479)において、直交する街路で整然と正方形の格子状街区を形成し、機能に応じて公共施設と矩形広場を統合的に配備した。
アレクサンドロス大王が開いたヘレニズム時代以降、植民都市の建設も進められた。イタリアのパエストゥム、エジプトのアレクサンドリア、シリアのアンティオキアなどがある。ベルガモンは、急峻な斜面に沿って段をなすテラスに神殿や公共建築群が配置され、全体が一幅の絵画のような景観を呈した。
民主制の理想都市
アリストテレスは「人間はポリス的動物である」と表現した。古代ギリシア人は、先進的で人道的な民主政の基で、自由を尊ぶ人間性を原点に置き、市民の共同生活が健全に営まれる場として理想的な都市を築いていった。
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