プレ・ロマネスク建築

西洋建築史
アーヘン大聖堂 出典:ウィキペディア

ゲルマン人の登場

 375年、ローマ帝国の北西部にいたゲルマン民族は、東方から西進した遊牧民フン族に押され、ドナウ川国境を越えて帝国領内に大挙して侵入した。476年、西ローマ帝国は滅亡し、古代から中世へ時代は移行する。

 ゲルマン諸族は移住を繰り返し、6世紀末ごろまでに各地に定着し、今日のフランスやドイツ、イギリスにつながる部族国家を建設する。当時の西ヨーロッパ(ガリア地方)は、鬱蒼とした原生林に覆われた荒涼とした辺境地であった。

 313年のミラノ勅命以来、ローマ教会は領内諸都市に司教座を置き、布教を進める。ガリアの地にもキリスト教が浸透し、5世紀にはほとんどの部族がキリスト教に改宗した。

 ゲルマン人は、高度に洗練されたローマ文化に触れるが、全く知識も技術も持ち合せず、手探りでスタートした。ローマ人と全く異なる気質と価値観を持つ彼らは、一から独自の文化を素朴に創造していった。見様見真似で、稚拙で簡素な教会の建設から始めた。それゆえ、建築の歴史においては、不毛な数百年が続いた。 

修道院の誕生と社会先導

 聖シメオンや聖アントニウスのように、最初の修道士の多くは独居を旨とした。一方、カリスマ的な指導者の下で共同生活を基にする組織も現れる。独居と共同生活を組み合わせたラヴラ制も登場する。

 シナイ山の麓に建つ聖カタリナ修道院は、3世紀に設立された最古の修道院の一つである。中心施設はバシリカ式聖堂で、周囲三方を城壁で囲み、僧房や宿泊所などの小部屋を配した。アプス裏手の礼拝堂は、モーゼが燃える柴から神の声を聴くエピソードを記念している。

 529年、聖ベネディクトゥスは「祈り働け」の精神で、自給自足の霊的生活を実践する修道院を開いた。ベネディクト修道士たちは、カトリックの伝道に勤めながら社会的活動を行い、聖堂の建設も手仕事で率先した。修道院は、宗教、政治、生産、学問、医療の拠点となり、10世紀には西欧に1200ほど存在したという。

 スイスのザンクト・ガレン修道院付属図書館(820)には、当時の修道院の配置計画見取図が遺る。方形の中庭を囲む回廊クロイスターの周りに、教会堂と修道士のための食堂や寝室など生活諸室を配置し、その外側に、学校や図書館、賓客宿舎、さらに外周に、工房や畜舎、牧場や菜園などの生産施設を計画し、独立した小社会を形づくっていた様子が窺える。教会堂はバシリカ形式で、玄関上部にも内陣を設けた二重内陣式であったことが読み取れる。

カロリング朝の建築

 800年、フランク王国カロリング朝のカール大帝(シャルル・マーニュ)は、教皇に跪き、ローマ皇帝の戴冠を授かる。ローマ帝国に憧れ、アーヘン宮廷礼拝堂(805)を建てる。ラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂をモデルに八角形平面の集中式教会堂を建立したが、直線的で硬い重厚な様相であった。東端部に祭壇、西側の入口上部に皇帝席を設けた。西欧建築の出発点として名を残すが、後が続かなかった。

至福千年思想

 9世紀カロリング帝国は分裂し、蛮族が侵入し、社会は混乱し悲惨な状況に陥った。

 そんな最中、紀元千年はキリスト降誕後千年に当たり、ヨハネの黙示録に描かれた終末思想が蔓延する。死の恐怖の中で神の国の到来を求めて教会を建てた。

 世紀末を無事に乗り越えた人々は、新時代への希望に満ちて活気が漲り、復興への大きな原動力となった。こうして紀元後1000年前後、教会堂建設への要求は高揚し、様式化が加速した。

 また、贖罪意識から殉教者の苦難追体験や、熱狂的な信仰から聖遺物崇拝への欲求が高まり、聖地巡礼のブームが湧き上がる。巡礼者が堂内を周回できる巡礼教会が多数建設された。

バシリカ式教会堂の変容

 北と南の地理的、歴史的な風土の差異によって、全く異なる二つのタイプの教会様式が出現する。

 ひとつは、アルプスの北側、ガリアの木造建築の伝統を踏まえたゲルマン的教会堂である。どんよりした風土の中で、陰鬱な森に天上から射し込む一条の光に神聖さを見出すかの如く、森の文化の中で育成された宗教観を反映した聖なる空間を希求した。木造天井のバシリカ式で、西側正面上部に塔を立て、重厚さと威厳を湛える西構え(ヴェストヴェルク)、鐘楼など塔の多い形態、東の至聖所と西の皇帝礼拝所が対向する二重の内陣、正交差式の身廊と袖廊を特徴とする。

 もう一つは、アルプスの南側、地中海地域の石造文化の伝統を基にしたラテン的教会堂である。強い陽射しを避け、石積みのほの暗い静かな光を求めた。多種多様な文化的交流を経て、初期キリスト教とビザンティン建築への回帰、そしてイスラム文化の影響が色濃い。天井も石造のバシリカ式で、粗石積みのヴォールト天井と分厚い壁で構成され、重厚な形態と小さな窓、連続小アーチが外壁を飾るロンバルド帯を特徴とする。

 それぞれが実験的な創作活動に挑み続け、漸く長い冬の時代を脱出し、ロマネスク建築に結実させる時を迎える。

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