ビザンティン建築

西洋建築史
アヤ・ソフィア 出典:Pixabay(photo by Lisy)

東ローマ帝国の誕生

 ローマ皇帝コンスタンティヌスⅠ世は、ミラノ勅命を発布した後、西暦330年首都をビザンティウム(現在のイスタンブール)に移し、395年にローマ帝国は東西に分裂する。東ローマ帝国は、1453年オスマン・トルコに征服されるまで、約1100年の長きに亘り、独自のキリスト教建築を発展させた。

ペンデンティブ・ドームの発明

 当時、ミサ典礼が映えるバシリカ式の身廊の上部に、神の座を象徴する集中式のドームを載せ、両者を融合させたいという命題があった。それは結局、正方形平面の広間に球面のドームを架けることに帰結され、建築上の造形的かつ構造的な方策を見出さなければならなかった。正方形の四隅に火打ち梁を設け大きな板石を載せるスクィンチや、四隅をコーン上のアーチで塞ぐトロンプなど試行錯誤を重ねるが、大規模だと崩壊するため根本的な解決には至らなかった。

 だが、東ローマ皇帝ユスティニアヌスⅠ世は、二人の建築家に命じて長年の課題を解決し、537年アヤ(ハギア)・ソフィアを完成させる。それはまず、正方形プランに外接する円形ドームを架け、正方形からはみ出した部分を削ぎ落して、食パンみたいな形をつくる。次に上部を水平にカットし、できた円形の切り口の上にドームを架ける方法である。

 このドームの四隅の三角形曲面部分をペンデンティブと呼ぶ。ドームの荷重をここに集約させることで、それ以外の部分は構造的に自由になり、明るい大開口を作ることができる。ペンデンティブの発明は、矩形のプランに恒久的な石材のドームを架けることを可能にし、初期キリスト教建築のバシリカ式と集中堂式の結合を遂に成就させた。

 アヤ・ソフィアは壮大華麗ではあったが、側方からの支持が弱い一種の欠陥建築で、度々大地震時にドームが崩壊し、その都度修理や補強を強いられた。そのためか、その後大規模なドーム建築への展開や発展はほとんど見られない。

アヤ・ソフィアの内部空間
堂内  出典:ウィキペディア 提供者:Andreas Wahra – German

華麗なモザイク装飾

 内部装飾には、色大理石や陶磁器、彩色ガラスの小片を寄せ集めて描くモザイク画が多用された。絵画に比べ耐久性が高く、抽象的な宗教画やイコンにマッチした。金色に輝くモザイク装飾は、教会内部を謎めいた荘厳さで魅惑的な雰囲気を充満させる。後に、ゴシック建築のステンドグラスに発展する。

ラヴェンナの教会堂

 ローマ帝国分裂後、西ローマ帝国は衰退し、476年に滅亡する。イタリア北部の小都市ラヴェンナは、西ローマ帝国、その後に続くゲルマン民族の東ゴート王国の首都になった。さらに540年、ユスティリアヌスⅠ世が西ローマ帝国領の奪回を試みて再び占領した際、東ローマ帝国の総督府に据えられ繁栄する。

 ラヴェンナの建築は、初期キリスト教建築、ゲルマン的要素、ビザンツ様式が絡み合った様相を見せ、初期ビザンティン建築とされる。八角形平面の集中形式であるサン・ヴィターレ聖堂(547年)は、膨らみのある柔らかい優雅さを湛えた空間で、金色に加え青や緑など多色のモザイクは、ビザンティン美術の傑作として名高い。バシリカ式では、中庭のアトリウムは失われたが、円筒型鐘塔が独立してたつサン・タポリナーレ・イン・クラッセ教会堂(549)がある。

ギリシャ十字式教会堂

 9世紀以降は中期ビザンティン建築と呼ばれる様式を生む。正多角形や腕の長さが全て等しいギリシャ十字形など、二軸対称の平面形の集中形式に複数のドーム天井を架ける特徴がある。

 ヴェネツィアのサン・マルコ聖堂(1090)は、ギリシャ十字形を外観にも現し、中央と4つの腕のそれぞれに、合計5つのドーム載せる。整然とした内部空間は、全面を金箔ガラス・モザイクで装飾されている。

イコノクラスムの影響

 726年、東ローマ皇帝レオン3世は聖像禁止令を発し、イコノクラスム(聖像破壊運動)と呼ばれる聖像イコンを破壊する運動が起こる。843年イコン崇敬の復活が公式宣言されるまで、大論争が吹き荒れた。

 この渦中、私設の東方修道院が増加する。例えば、以前から修道の場であったエーゲ海のアトス山に、修道士アタナシオスは大ラヴラ修道院(963,ギリシア)を設立した。地下都市カッパドキアには、地元有力者の寄進により石窟教会が造られ、ギョレメ渓谷はイコン擁護派の避難所となった。

東方正教会

 1054年、キリスト教会はローマン・カトリックとギリシャ正教に分かれた。ギリシャ正教は東方正教会ともいわれ、東ローマ帝国が滅亡した後も、ギリシャからロシアに至る東欧世界に広く普及して、造形的にも特色のある建築を形成していく。

 ドーム天井の存在を建物の外観に示す屋根は、時代を経るにつれ高層化し目立つ形状に変容していった。モスクワの赤の広場に建つロシア正教会の聖ワシリイ聖堂(1559)は、中央の主聖堂を8つの小聖堂が取囲む構成で、9分割正方形を2枚重ねた平面の土台上に、太いローソクにネギ坊主を載せたようなオニオンドームが林立し、全体を多彩なタイル張りとしている。

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