ヴィラ・ロトンダ

世界の名建築住宅遺産

「美とは、フォルム、そして全体の調和から生まれるものである」

ヴィラ・ロトンダ
ヴィラ・ロトンダ  出典:ウィキペディア 写真撮影:Philip Schäfer

 アンドレア・パラディオが設計し、1567年に建てられたヴィラ・ロトンダは、四面とも全く同じファサードで厳格な二軸対称性にもかかわらず、イオニア式の優美な列柱と抑制された簡素な壁面が協和して、端正均整のとれたプロポーションのうちに、統一と調和の感覚が生まれています。同時期のルネサンス後期の建築家に比べて、装飾が少なく建築の本質に重きを置いていることが窺われます。彼の建築の持つ表情には古典の堅苦しさがなく、人を惹きつける温かさを感じます。

 15世紀東方貿易を独占し、海運で莫大な富を成したヴェネチアの貴族たちは、パラッツォと呼ばれた都市の邸宅で日常生活を送り、週末は郊外に建てた別荘のヴィラで自然の眺望を楽しみながら優雅に知的な余暇を過ごしました。古代ローマ以来の伝統です。

 16世紀後半になるとオスマン帝国の台頭により陰りが出てきたため、新しい産業として郊外の広大な土地で農場経営に乗り出します。その拠点として、農地の中心に自らが住む館が必要になりました。初めは単に農家に召使の部屋や農具庫、倉庫などを加えたものでしたが、パラディオは郊外住宅として独自の様式のヴィラを確立します。

 彼は1508年にイタリアのパドヴァに生まれました。13歳の時に石工として徒弟奉公に出ますが、その後ヴィツェンツァの工房に務めます。30歳の時に転機が訪れ、知識人であったパトロンと出会い建築の道へ。1541年にローマを訪れ、古代の建築物をスケッチしながら調査研究を行います。

 1546年、ヴィチェンツァ市のバシリカ(市の役場兼公会堂)の改修案に当選し、仕事の依頼が急増。1570年には、ルネサンス建築の集大成ともいうべき理論書『建築四書』を著しました。工芸職人、建設業者、さらに学者としての技量を駆使して設計活動を行い、平面図を基に空間を設計した最初の職業建築家と考えられています。

 ヴィツェンツァの小高い丘に建つヴィラ・ロトンダ(オーナーの名前からヴィラ・アルメリコ・カプラとも呼ばれる)は、4つの大階段のある基壇の上に建てられています。純粋な正方形と円を組み合わせた完全対称形の整った平面構成で、四面に同形の神殿風のポルティコ(ポーチ)をもつ立面構成になっています。

 居住者にとっては、陽射しに守られて、あらゆる方向の素晴らしい風景を見渡せるように計画されており、一方外部からは、田園地帯の景観に、象徴性の高いモニュメンタルな形態を際立たせた画期的なデザインでした。また、軸線を基準にしたシンメトリーの構成は、建築本体だけでなく周囲のランドスケープにも徹底されています。

 この建物の主階の中央に、正確に東西南北に外へ開かれた広場のような丸い居間があり、そこはパンテオンに倣ったクーポラを載せた吹抜けのドーム空間になっています。室内装飾には、大聖堂の雰囲気を漂わせるフレスコ画が描かれています。

 主要な応接室や寝室などの個室群は、それぞれに太陽光が入るよう東西南北から45度振り向けられ、広間中心から見て対称となるように四周に分割配置されています。吹抜けの2階部分にバルコニーが一周しており、二次的な寝室や宿泊設備などの屋根裏部屋が並びます。

 ポルティコに続く階段のある基壇部分は、半地下空間になっていて、厨房や洗濯室、守衛室や馬小屋などのサービスフロアになっています。平面も立面もともに三層構成になっているのが大きな特徴です。

 幾何学図形に基づいた完全なシンメトリー、軸線の強調、求心性、長さや高さなどの比例、部分と全体のバランスといった数値的調和が、強く表現されています。比例に関しては、単に古典建築の形態要素であるオーダーの原理に則った立面だけでなく、3対4などの単純な整数比で計算された、各部屋寸法の平面的比例、広さと天井高さの比率といった具合に、全てにわたって徹底したものでした。

 また、エンタブラチュアの上にアティックをのせて、建物のボリュームのバランスをとっています。ローマ時代の遺構を実際に多く見た経験による建築知識に基づいたものですが、神殿のペディメント(切妻破風)を住宅に採用したり、ジャイアント・オーダーを用いたり、一歩間違えれば奇異になりかねない大胆な手法にもチャレンジしています。

 彼の建築は、後にパッラーディオ主義とよばれる建築運動を巻き起こし、『建築四書』は常に引用される標準テキストになりました。また「ヴィツェンツア市街とヴェネト地方のパッラーディオ様式の邸宅群」として、ユネスコ世界遺産に登録されています。

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