全ての人が一体感を共有できるスポーツ祭典の場
敗戦から15年、日本が世界に伍していこうとする機運が高まる中、オリンピックの開催が決まり、国立代々木競技場は誕生します。スポーツの祭典の場にふさわしく、選手たちを鼓舞するかのような、ダイナミックな躍動感と流動感、そして緊張感が建物に漲っています。半世紀以上たった今でも、その生命力は衰えることなく、再び東京オリンピックの表舞台に選ばれました。
設計は丹下健三の手によるもので、第一、第二体育館ともに、高張力ケーブルによる吊り構造の技術を採用し、それぞれ2本、1本の主塔から、屋根全体を吊り下げる構造になっています。これは、視界を遮る内部の柱をすべて取り払い、選手のパフォーマンスと観衆の応援がひとつになって、すべての人がその一瞬に熱中し、一体感を共有できるような大空間にするためでした。
躍動感に満ちたダイナミックな建築構成
第一体育館は、三日月型のスタンドを対称軸に沿ってずらしながら向かい合わせ、両端の大きな出入口を主塔の先に設けて、巴型の平面計画になっています。
これによって、1万3千余の人々がスムーズに流れる動線を確保できるとともに、建物内外に変化を伴う動的な印象の形態を生み出しました。どこから見てもワクワクしてときめきます。
アリーナを入り口より下階に埋め、入場者が上下2層に自然に流れていきます。
天井の2本の主ケーブルの間を巨大なトップライトに設え、この光の帯に向かって大きな天井が絞り込まれ、見る者の高揚感を掻き立てるドラマチックな構成が成されています。
外観においては、どこか奈良の古寺を思わせる屋根全体のフォルム、大棟に載せた越屋根、神社の千木や寺院の鴟尾のような主塔先端の納まり、格子状のスタンド外壁の開口部などが、日本の伝統的な神社仏閣や民家を想起させ、日本人に親しみを感じさせるデザインが織り込まれています。
第2体育館は、巴型平面を受け継ぎ、螺旋を描きながら天に上昇していくような屋根のシルエットが魅力的です。
大小二つの競技場は、大開口のエントランスが呼応するように向かい合い、絶妙なコンポジションをとっています。二棟間には管理用諸室をまとめた細長い建物があり、その上部は街に開かれた石畳のアプローチ空間になっています。
この大胆な吊り屋根の構想は、丹下が建築を志したきっかけになったと言われる、近代建築の巨匠ル・コルビジェが提案した「ソビエト・パレス」の幻のコンペ案(1931年)が伏線になっていたそうです。
建設技術の総合力をトータルコーディネート
構造設計者にとっては、空前のスケールの吊り構造で、まさに前代未聞、手探りの状態の試みでした。当時完成した最新の吊り橋で使われた土木技術を取り入れました。
中央スパン120mの吊り橋状のケーブルから、スタンド後端へ37本の曲率のある鋼材の吊り材を架け渡し、風に対する安定を図るため、これらを直角方向のテンションロープで締めつけています。
さらに、屋根の振動を抑えるため油圧ダンパーによる制震システムを、世界で初めて導入しています。検討し尽くされた技術で裏づけし、構造美を体感できる建築空間が実現しました。
屋根自体が建物を支える構造で、しかも天井に化粧材がないため、空調設備やダクトを吊ることができません。設備設計者にとっても難易度の高い計画で、巨大なバズーカ砲のようなノズル吹出口で、空気を遠くへ飛ばすアイデアによって解決しました。
また、空調負荷を抑えるために、室内の気積を抑える屋根形状に調整されています。
設計期間は1年で、工期はたった1年半(18か月)しかありませんでした。
施工も、最高度の技術を要するものでありながら、オリンピックに向けて時間がなく、24時間体制の突貫工事を強いられました。
曲面を描く屋根は1枚1枚微妙に形が違う鋼板なので、その曲面を造るために、当時世界トップレベルであったタンカーの造船技術が採用されました。
世界遺産にふさわしい、高次元で統合された日本の建築
このようにして、建築に要求される機能・構造・表現が、明快に一義的にまとめ上げられた、まさに神懸ったと言う他ない挑戦的な国家プロジェクトになったのです。
コンピューターもない時代に日本の英知を結集し、昼夜を徹して熱い情熱を注ぎ続け、見事に完成させオリンピックを迎えました。これほどデザインとエンジニアリングが高次元で統合された建築は、他に類を見ないのではないでしょうか。
そして、建築家の果たした役割は絶大でした。日本の伝統に立脚しつつ未来を見据え、「我が国独自の現代建築はいかにあるべきか」を問う意欲に充ち、この形態と技術に解を見出す建築家の高い志が、関係者すべての心を揺り動かし、プロジェクトを牽引したのです。
代々木競技場は、戦後の荒廃から急速な復興を遂げる日本の高度成長を象徴するメルクマール的存在です。そして、生きた競技場として数々の感動を生み、多くの人々に今も愛され続けています。
現在、世界遺産の登録を目指すムーブメントが起こっています。私も、このブログを書きながら、改めてこの不朽の名作を永久に残したいと思いました。世界にアピールする日が来ることを切に願わずにはおれません。
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