アブ・シンベル神殿

世界の名建築

年に2度、巨大な岩山の奥深くに一筋の光が射し込み、闇の中の神像を照らし出す!

アブシンベル神殿の正面
アブ・シンベル神殿  出典:Pixabay photo by Loretta Rossiter

偉大なるファラオ・ラムセスⅡ世

古代エジプトファラオの中でも特にその権威を誇ったラムセス2世。その彼がナイル川上流に建設したアブ・シンベル神殿は、自身の強大な権力を太陽光が放つ無限の力に重ね、自らを太陽神に神格化し威信を示すという強い思いによって、紀元前1250年ごろに造られました。

今回は、その神聖かつ驚異的な力を秘め、時を超えて人々を魅了して止まない空間が、どのような背景から生まれ、どのような技法を用いて構成されているかについて、考えてみます。

ラムセス2世は、24歳で即位し、エジプトが最も繁栄した時代とされる新王国時代19王朝に66年もの間王権を維持して君臨し、90歳で没したとされています。当時にしては珍しく180cmもの長身を誇り、果敢に外征を行い勢力圏を大いに拡大し、征服王として名を馳せました。

また、ナイルデルタの祖先の地に美しい王の町をつくり、別名「建築王」とも呼ばれるほど、エジプト各地に神殿など多くの記念建築物を建設し、オベリスク、宮殿、巨像なども多く建立し、その権勢と国力のほどを示しました。

スペクタルのステージとしてのアブ・シンベル神殿

そんな彼の傑作とされるのが、スーダンとの国境に近いヌビアの地に築かれたアブ・シンベル神殿です。一説によると、当時エジプトの脅威だったヌビアへの力を見せつける抑止力的な意味もあって、この地を選んだと言われています。

大小2つの神殿からなり、砂岩の岩山を刳り貫いて掘り進める形で造られた岩窟神殿の遺跡です。

アブシンベル大神殿と小神殿のパノラマ
アブシンベル大神殿と小神殿のパノラマ  出典: ユーラシア旅行社 VOYAGE「世界見聞録」

今回取り上げる大神殿は、正面の高さ32m、幅38m、とそのファサードは壮大なものです。入り口には青年期から老年期まで4体のラムセス2世の巨大な彫像が並んで鎮座しており、その高さは22m(数階建てのビルの高さに匹敵する)と圧巻の迫力です。

王がいかに強大な権力を誇って国を統治していたか、そしていかに自己顕示欲が強かったかを物語っています。巨像の足元には、王妃や王子の家族の像がそえられており、また、隣にある小神殿は最愛の妻第一王妃のネフェルタリのために造ったものとされており、一族の繁栄と家族愛を示すものでもあったようです。以外に家族思いのあった王様でした。

中央の入り口を入ると、まずラムセス2世像が左右4体づつ規則正しく並ぶ「大列柱室」が広がっています。腕を胸の前でクロスするオシリス神のポーズをとる8体の王の巨像が、通過する人々を上から睥睨しており、前を通過するものを威圧する緊迫した空気が漂っています。周囲の壁や柱には、王自身の数多くの戦歴や業績を称え、自らが偉大なファラオであることを示すレリーフが刻まれています。

アブシンベル大神殿の内部通路
アブシンベル大神殿 内部通路  出典:ユーラシア旅行社 VOYAGE「世界見聞録」

さらに奥に進むと、ハトホル女神の顔が描かれた柱が左右に3本ずつ計6本並ぶ「列柱室」があり、ここの壁や柱にはラムセス2世とネフェルタリが描かれています。

さらに、前室を通り抜けた最奥部に、右から太陽神ラー・ホルアクティ、神格化されたラムセス2世、王の守護神アメン・ラー、メンフィスの闇の神プタハの4体の神の彫像が並ぶ「至聖所」が配置されています。周囲の壁や柱に描かれたレリーフには、エジプト統合やラムセス2世が名を上げたカデシュの戦い、神々から祝福される様子などが綴られています。

アブ・シンベル神殿の至聖所
アブ・シンベル神殿の至聖所  出典:ユーラシア旅行社 VOYAGE「世界見聞録」

自らの神格化を周知させる「光の奇跡」の演出

神殿の入り口から大中小3層の前室を経て、最深奥の至誠所まで一直線に繋がっていて、その奥行きはおよそ60mに達する壮大な空間が構成されています。

春秋の年2回、ラムセス2世の誕生日と即位の日に、神殿の最奥部に朝日がまっすぐに差し込みます。左端に位置する冥界の神であるプタハを除く、3神の顔を照射する「光の奇跡」が起こるのです。

太陽光のエネルギーによって、神の化身としての王の力が活性化され強化され、ラムセス2世はアメン・ラーとホルアクティに並ぶ力を得たと考えられたわけです。

この宇宙軸を捉えたスペクタクルを演出させる構想力、天文学や暦などの科学的知識、神殿の設計力と表現力、精巧な測量や掘削等の施工技術、、、が、今を遡ること3300年もの昔にあったことに、ただただ驚嘆するばかりです。

年2回の光の奇跡   photo by 浜の山ちゃん(free photo:写真AC)

ユネスコ世界遺産のシンボル

1813年、スイス人ブルックハルトが砂に埋もれたアブ・シンベル神殿を発見し、イタリア人ベルツォーニが発掘し、内部に入れるようになりました。

1952年、エジプトのナセル大統領が、ナイル川の氾濫を防ぎ安定した電力を国民に供給するため、国家事業としてアスワン・ハイ・ダムの建設を決定します。しかしこれが実現すると、アブ・シンベル神殿をはじめとするヌビア地方の遺跡が、ダム湖の底に水没してしまう。

この経済開発と遺産保護の両立という難題にUNESCOが立ち上がり、遺跡救済キャンペーンを世界に向けて発信し、世界50か国が賛同して救済事業に協力することになりました。当時の現代技術の粋を結集し、4年の歳月と360万ドルの工費を費やして、具体的には一枚岩の神殿を760のブロックに切り分け、約60m上方、ナイル川から210m離れた山上へ移送し、再び積み上げて復元移築したのです。

このことが契機となり、人類の遺産の保護について世界の認識が大きく変わり、「世界遺産」という制度が1972年に創設されることになりました。

時を超えて感動を呼び起こすアブ・シンベル神殿は、人類の宝として記念すべき象徴的な遺跡となり、それ自身1976年に世界遺産に登録されています。

アブシンベル小神殿
アブシンベル小神殿  出典:ユーラシア旅行社 VOYAGE 「世界見聞録」

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