ヴィッラ・アドリアーナ

世界の名建築
ヴィラ・アドリアーナのテアトロ・マリッティモ
ヴィラ・アドリアーナ テアトロ・マリッティモ(海の劇場)  出典: Villa Adriana e Villa d’Este

 第14代ローマ皇帝ハドリアヌス帝は、ローマを見渡せるティヴォリの緑豊かな丘陵地に、壮大な別荘『ヴィッラ・アドリアーナ』を自ら設計して建てたという。エジプト、ギリシャを含む帝国領土内の美を再現した当時の建築コレクションであり、皇帝が晩年の数年をここで隠棲して過ごしたとされる。のちに蛮族の採石場と化し、廃墟となって、栄枯盛衰のもの悲しさを今に伝えているが、ドラマティックで卓越した往時の建築と庭園が偲ばれ、芸術探求への意欲にかられる。

 ハドリアヌス帝は、パックスロマーナ(ローマによる平和)と呼ばれる黄金時代を支えた五賢帝の一人であった。領土最大となった成熟したローマ帝政最盛期にあって、先帝トラヤヌスの拡大政策から縮小路線へ舵を切ろうとしたという。領土拡大に要する軍事費の縮減と、属州との平和な関係構築の必要性を考えてのことだったが、反意を持つ元老院に阻まれた。

 一方、若くしてギリシャ文化に傾倒し、美への情熱と憧れを抱く。117年帝位に就くと、帝国の統治のために、領土内をくまなく長期に亘って巡行し、ローマに帰還する度に、記憶を頼りにヴィッラの建設に勤しみ、133年に完成させている。

 緩やかに西に傾斜する広大な丘全体に、世界各地で魅了された建物や風景を、微妙な地形を生かしたいくつかの軸線にのせて、自然と調和させながら集大成させている。神殿、宮殿、広場、劇場、図書館、養魚場、テルメ(浴場)、ホスピタリア(客間)など、30を超える施設の複合体で、別荘と言っても、都市的スケールの壮大なものである。

 特に際立つものとして、まず、エジプトの美しい運河の地を再現し、ナイル川をシンボライズしたとされる「カノプス」が挙げられる。皇帝が寵愛した美青年アンティノウスが命を絶ったナイル川を模し、感傷的な記憶を織り込んだとされる。谷間を利用した119m×18mの細長い池の周囲を、ぐるりとギリシャ彫刻の模像が取り囲む回廊になっている。今や屋根を喪失した女神を象った柱カリアティードや、アーチを載せたコリント式列柱、表情豊かな大理石の男性像が、もの悲しくも美しく水面に映える。その池の端には、半円形ドームが開いたセラピス神殿が建ち、そこから池を眺めて食事をしたという。

ギリシャ・アテネのストア・ポイキレ(彩色回廊)から採ったとされる「ポイキレ」は、これもまた池の周りを列柱廊が巡る壮大な空間であるが、その中央に100m×50mの満々と水を蓄えた大きな池がある。およそ15mも高さのある厚いレンガ造の壁を挟んで両側に列柱が並び、北側の壁は今でも残っている。

「テアトロ・マリッティモ(海の劇場)」は、彼が再建したローマのパンテオンに内包される内接球と同じ直径43mの円形施設になっているが、円形に配置した壁と列柱に囲われた水盤の中央に、円形の宮殿が浮かんでいる。地中海の孤島をイメージしたのであろうか。ここには居住に必要な機能が揃っており、皇帝のお気に入りの空間であったらしい。彼は最晩年、人を信用できず何度も自殺未遂を起こしたらしく、ここに一人引き籠っていたという。

 壮大なヴィッラの空間構成上の特徴としては、鏡面効果のある水面を生かした風景、池や広場の周囲に回廊や部屋を巡らせ、連続的な壁と柱の強調、特に円や半円、アーチ、ドームなど曲線を多用しながら、円や四角形の幾何学的形態を巧妙に組み合わせた造形、直交せず折れ曲がった軸線の組み合わせの上に個々の建物が配置されていることである。これらによって、建築とランドスケープを総体的に調和させた環境を生み出している。

 ヴィッラは多くの芸術家をインスパイアしてきた。16世紀、ピッロ・リゴーリオが発掘を始め、同じティヴォリに建てたエステ家別荘において、池や噴水で演出するイタリア式庭園様式を完成させている。若き日に訪れたル・コルビジェはスケッチを残し、後のロンシャン礼拝堂のイメージの源となったと言われている。インスピレーションの源泉として、建築家に影響を与え、各地の庭園のモデルになった。

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