完全に左右対称な形態と完璧なプロポーションをもつ白亜の殿堂、タージ・マハル。30年前、初めて対面した時に受けた衝撃的な感動が、今でも蘇ります。太陽の光を浴びて白く輝く圧倒的な美しさは、脳裏から離れることがありません。その華麗な姿の秘密を、今回探ってみたいと思います。
インドは現在ヒンドゥ―教国家ですが、13世紀から19世紀半ばまでは、強大なイスラム国家でした。インド北部を支配したムガール帝国の基礎を築いた第3代アクバル大帝は、大胆な内外政改革を行いましたが、宗教融和策をとり、建築においてもインド伝統のヒンドゥー建築とイスラム建築の融合を試み、アーグラ城の建設をはじめます。
そのアーグラ城を壮麗に仕上げたのは、孫の第五代皇帝シャー・ジャハーンでした。愛妃ムムターズ・マハルを伴って、積極的に前線に向かい領土を拡大しますが、遠征先で妻を亡くします。皇帝は王妃の死を悼んで霊廟の建設に着手し、22年もの歳月と莫大な国費をかけ、1654年に完成させたのがタージ・マハルです。
インド・イスラム様式の建築で、廟墓建築の最高傑作になります。雨に当たっても溶けないラジャスタン地方から運ばれた白大理石と、世界各地から集めた宝石や素材を使い、建築と装飾にはイラン、トルコ、フランスなど外国人技術者が参画しました。
ヤムナー川を背にする南北560m、東西300mの敷地は、外周を塀に囲まれ、南北を対称軸に完全にシンメトリーを守った幾何学的プランで構成されています。大きく三つのゾーンに分かれ、南にゲートゾーン、中央に正方形のペルシャ式庭園、北側奥に総白大理石の廟墓が鎮座します。
約300m四方の庭園は、細長い水路と通路で田の字型に仕切られ、できた四つの庭をさらに四つの正方形に整然と分割し、四分庭園(チャールバーグ)と呼ばれ、イスラム教の聖典コーランに説かれる「天上の楽園」をこの世に現しています。中央で直行する水路は四つの生命の川を象徴し、その川の交差部にあたる正方形の泉のある壇は、神と人間との出会いの場所とされています。
南の正門から眺めると、水面に白亜の霊廟が映し出されます。イスラム教徒にとって、この楽園は愉悦の天国を意味し、水が生命の源泉となった乾燥と灼熱の砂漠におけるアジールでもあるわけです。
かつて、水路に一対の噴水が連続して造られていましたが、インドを植民地支配したイギリス人が、世界七不思議の一つであった噴水の機構を解明するために、噴水を止めて分解したところ、二度とその水が元に戻らなくなったと言います。愚かなことです。
廟墓もすべて東西南北に対称に四つに分けられており、この四分が徹底されているのがタージ・マハルの大きな特徴です。
高さ7mの基壇の上に載っており、正門から見ると丁度良い高さになっています。霊廟は基壇中央に正確に配置され、「マハル(宮殿)の宝冠」を表すドームを冠する変形八角形の建物であり、57m四方、中央ドームの高さは約61mになります。
白い表面には、コーランの教義がアラビア文字で刻まれ、宝石や大理石を象嵌して、精緻なアラベスク文様が装飾されています。大ドームは中が空洞の二重構造になっており、外殻は造形美を追及したものです。その四隅隣にチャトリ(小丸屋根)が設置され、全体を軽やかな印象に仕立てます。
また、基壇の四隅には高さ42mの4本のミナレット(尖塔)がそびえ、霊廟全体の形状をバランスよく美しく整え、ゆるぎない一体感を与えています。
廟の左右には、全く同形の赤砂岩の建物が対になって配置され、メッカ側の西にモスク、東に釣り合いをとるように迎賓館が建てられています。
内部中央には、高さ24mの吹抜けでアーチの天井を持つ八角形のホール空間があり、偉大なムガール王朝の権勢と、宇宙を凝縮して表しています。その下の地下に玄室があり、王と王妃二人の棺が安置されています。それは、霊廟の完璧な左右対称性を崩す唯一のものとなりました。
シャーは愛妃に捧げる霊廟の完成後、ヤムナー川の対岸に、今度は白いタージ・マハル廟と対を成す黒大理石の廟を自身のために建て、橋で結ぶ壮大な構想を抱きますが、贅沢三昧の父王にたまりかねた息子に帝位を奪われ、皮肉にもアーグラ城に幽閉され、その夢は叶わず幻と化しました。朝に夕にタージ・マハルを眺めながら、74歳の生涯を閉じたといいます。
贅の限りを尽くしたタージ・マハルは、ムガール王朝の繁栄をもってして初めて可能であったのです。そして、その建築美は、儚い夢を追い求めた虚構に彩られた幻影であり、人の心を誘う悲哀を装った象徴的な美であるのです。
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